今日は、「SNS写真家は人格者であるべきか」という話をしていきたいと思います。
皆さんは普段、SNSを使ってらっしゃるでしょうか?
Twitter、Instagram、FacebookなどSNSを活用して、日々写真をアップしているフォトグラファーの方も多いんじゃないでしょうか。
今回、「SNS写真家」に対して焦点を当てたタイトルになっていますが、その定義は「SNSで火が点いた、写真以外に本業がある人」ですね。
普段は別な仕事をしているが、SNSに上げる写真の腕を買われて仕事を貰ったり、一定の影響力を持つSNSユーザーの事を 「SNS写真家」と呼ばせて貰います。
こういう人達っていうのは、素晴らしい写真をSNSに載せ、たくさんの方から賞賛されています。
中にはプロ顔負けの作品を排出する方もいらっしゃいますし、人間的にも素晴らしい方が多いですよね。
しかし、SNS写真家の中でも一部ユーザーに限っては、他人の作品を悪く言ったり、必要以上に煽ったり、特定の機材を使っている人に対してマウントを取ったりと、尖ったことを言ってイキり散らかしてる方々が何人かいます。
あなたも一度は目にした事があるんじゃないてしょうか。
こういう人達ってどうしても悪目立ちするんですよね。
激しい言葉を使ってエンゲージメントを増やそうとしているのか何なのか分かりませんが、SNSっていうのは特に自分の本音が出やすいツールだと思います。
その人の普段考えている事とか人間性も出やすいです。
不快ならミュートやブロックすればいいっていうだけの話なんですけどね。
ただ、一定程度影響力のあるSNS写真家がTwitterでイキリ散らかしてるのを見て、本業として写真を生業にしてる方々はどう思ってるのか、そしてどんな影響を及ぼしているのか、という所の解説をしていきたいと思います。
また、SNS写真家は人格者であるべきなのか という所について私の意見を書いてきたいなと考えています。
「SNS写真家」と承認欲求
結論から言うと、「SNS写真家はある程度の影響力がついたら敵を作るようなことを言うのはやめておけ」というのが私の持論です。
プロとして写真を生業にしている方は、よっぽどじゃない限りSNSで他人を煽るような事はしないでしょう。
しかしSNS写真家に関しては、広いネットの世界なので様々な種類の人間がいます。
なので、そういう変な人はどうしても出てきてしまいます。
ではなぜ、こういう人達が出てくるのか。
私なりに考えたんですけど、多分承認欲求モンスターになっちゃってるっていうのが私の結論です。
私達は自分の写真をSNSに上げて、周りの人からすごいねって褒めてもらったり、そこからちょっとした仕事に繋がったり、仲間が増えたりする事に満足感を感じています。
これに関しては誰もがそうで、異論はほぼ無いと思います。
ただ、どうしても途中で伸びが止まるんですよ。
どういうことか。最初SNSを始めたばかりの時期ってフォロワーも少ないので、良い写真を上げてればフォロワーはどんどん増えていきます。
それに自身の写真のスキルもどんどん向上していきますから、それでまた褒めてもらえて承認欲求が満たされていく。そんな「良い循環」の時期ですよね。
国で言えば発展途上国っていうところで、これからどんどん俺は伸びていくんだって言う期待間も自分に持っている。
そういう感覚だと思うんですよね。
ただ、ある程度フォロワーが増えて影響力がついてくると、フォロワーの増えるスピードや自分の写真のレベルっていうのが頭打ちになってくるんですよね。
そこで何か大きなフォトコンテストで入賞したりとか、SNS経由で仕事をもらえたりとか 、そういうのがあると、またポンと跳ねる可能性もあるでしょう。
しかし、なかなかそこまでたどり着けずに辛い思いをする時期が必ず来ます。
ここで周りの人間からの承認がなかなか得られなくてフラストレーションが貯まると、他人のちやほやされている写真を攻撃したりとか、他人の機材に対してマウント取ったりとか、そういう行動に出るわけです。
今までは自分がちやほやされてたのに、それが薄まってきてると感じちゃうっていう話ですね。
例えると、下の子が生まれてお父さんとお母さんからの愛情が薄まってきたんじゃないかと感じてる長男長女みたいな感じです。
下の子をいじめたりとか、周りの友達に対して暴言を吐いたりとか、悪目立ちしてでも承認されたいという状態になります。
ただこの時点で中途半端に影響力がついてるので、声も大きいですと。
暴言だとかマウント取りが、周りの関係無い人の目にも入っちゃうんですよね。
作品の価値は、人間としての価値との掛け算
こういうことを言うと、「SNSなんだから好きなことを呟いてもいいだろ。嫌なら見なければいいだけじゃないか」そういうこと言う方がいらっしゃいます。
それは、その通りだと思うんですよね。おっしゃる通りですと。
ただ、SNSでイキり散らかし続けることが、果たして本当に本人の今後の写真家としてのステップアップに繋がるのでしょうか。
よく、有名な画家で生前は全く評価されなかったけど、死後評価されて作品の値段が爆上がりした。みたいな話を皆さんも一度は聞いたことはあるんじゃないでしょうか。
これは作品自体のクオリティが上がったとか そういうことではなくて、作者の生き様とか ストーリーが後から判明して、それに対して付加価値がついたっていうパターンなんですよね。
この作品は現代の地球では手に入らない染料を使っているみたいなイレギュラーを除けば 、アートの評価って作品だけじゃなくて、そのアーティストの人間的な価値との掛け算なんです。
普段皆さんがSNSで上げている写真は、ただの趣味ですか?
写真でお金を稼ぐ気は一切ないし、自己満足で上げているだけなので、見たくなきゃ見るな。むしろ誰にも見られなくていいです。
という方は多分いないと思うんですよね。
皆さんが苦労して撮影した作品をSNSに上げるっていうことは、不特定多数の人に自分の写真を見て貰って、反応が欲しいから上げているわけです。
そしていつか趣味の領域を超えて、仕事につながったりとか、SNSを通じて共通の価値観を持った人達と繋がっていきたい。
そんなふうに考えてる方が多いと思います。
あなたはどうでしょうか?
そういうふうに考えた時に、果たして影響力のあるSNS写真家が感情のまま横暴に振る舞う世界は正しいのでしょうか。
プロ意識を持った写真家であれば、こういったことはないですよね。
少なくとも私は見たことないです。
何故なら、彼ら彼女らは写真家としてプロだっていう絶対的な自覚と自信があります。
SNSでの賞賛なんか小さい問題なんですよね。
それに、「アート=作品」だけじゃなくて、その写真家の生き様とかストーリーに対しても価値が発生するということを理解しています。
生き方自体が作品であると分かっているのです。
そんなプロ写真家と、SNSでわーわー言ってるような人は、住んでる世界がプロボクサーと街の不良ぐらい違います。
仮に喧嘩の強さが同じくらいだとしても、プロとしての自覚があるので、人間としての凄みが全然違います。
どんなに実力があっても、人間としてのレベルですでに負けてますという話ですね。
将来、自分の才能をプロの世界で使っていきたいということであれば、最終的には写真の技術だけじゃなく、正しい人格っていうのも形成していくべきなんじゃないかな言うのが私の結論です。
まとめ
私もですね、SNSにチョロチョロと写真上げているぐらいの小物です。
なのでSNS写真家ですらないんですけど、やっぱりこういうやんちゃな人たちが目に入ってきた時に 思うことがあります。
「写真家ってやっぱアートな人達だから、こういう尖った事言ったり、ちょっと協調性ない感じなのかなー」って感じちゃうんですよね。
そういうのってプロの写真家は相手にしてないとは思うんですけど、周りの素人から見たら写真家ってこういう変な人ばっかりなんだって思われる原因になりかねないんじゃないかなと思います。
SNSでわーわー言うというのは、特にメリットありません。
何か愚痴があるとか、毒を吐きたいのであればオフラインの場にしておきましょう。
いかがでしたでしょうか。
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